保育園・学校へ行きたくないを経験して

こんにちは
sora no niwa です。




「保育園、学校へ行きたくない」
この話、時々ブログに載せていたのですが、本当に増えてきていますよね。

私のまわりでも、また近頃、お話たくさん聞きますし、なんなら、我が家もそこに当てはまっていました。

長男くんが切り替わったかなと思ったら、今度はしばらく次男くんがお休み。

昨日から行き始めたのだけど、あとはおまかせですね。


これって、ますます増えてくると言われています。

それはネガティブなことではなくて、時代的にも「自分の感覚にしたがって」があと押しされている。

きっと3年後くらいには、子どもの環境も、もっと多様化が進むのではないかなと思っています。




とはいうものの、いざ「行かない」となると色々考えるんですよね。

はじめは「そういう日もあるよね」だったのが

行かない日が続くと、どうしたらいいのだろうか。になるし

理由も、本人がわからないことが多いし

ゲームずっとだと、さすがにかな、、って思ったこともあったり

(あれだけ自由でOKって言っていたのに。笑)


それでもやっと
もう本人にまかせようって思っても、
今度はまわりの人から「甘やかしすぎで、行かないのではないか」って言われたり

制限かけたり厳しくすると、その反動が返ってくるんだよなぁ。って思いながらも、

さすがに自分自身でも、関わり方がちがったのかなって思ったこともあったり

(今だから言えるのは、そうじゃないんですけどね。原因とかないんですけどね)

行かないとなっても、父と母の価値観だけだとな(変わってるもんな)ほかの価値観にふれてほしいな、、
なんなら学校で、個性を貫いてほしいよな、、

まわりの人は、どう感じているんだろう。

子どもたちには「自分に正直に、自由に生きてほしい」って思っていたのに
素直にそう思えなくなった自分にも、モーってなったり。


本当に、いろんな感情が動きました。



ただ、恵まれていたのが

まわりに、不登校を経験したお友だちがいたことや、お子さんが不登校を経験した先輩ママさんたちがいて、最終的には、子どもは大丈夫なんだろうなって思えていたこと。

どうしたら、子どもたちを受け入れてくれる人が増えるのか。
助けてもらえるのか。
モヤっとしたときに、どうすればいいのかを教えてもらったこと。

することがわかっていたのと、いろんな人に関わらせてもらえたのが大きかったなと思います。



そして、突破口を開くときっていうのは、必ず共通していたことがあります。

それは「子どものため」に生きるのでなくて、「自分のため」にしたとき。

「誰にまかせようかな」って考えていたとき。


子ども関係の仕事をしているくらいだから、子どものためにできることをしたいのですが、

「子どものため」っていう意識でするときよりも、「子どものために」を辞めたときのほうが、想像していたことよりも全然ちがう姿に変わっていくんだなと感じています。

「子どものために」も喜んでもらえるけれど、それ以上に。



これは一緒にあそぶでも、送り迎えするときでも、ご飯作るとしても、なにか関わるときすべて。

「自分のため」「自分がやりたいこと」にすればするほど。


あー、どんなときでも「自分を理由にしていく」これが「自由」なんだと。

そして、その「自由」を徹底することなんだなと思いました。

自由にしていたつもりだったけれど、全然枠が小さかったようです。


そして、「自分以外の人にまかせる」って、決め続けるのも。


もはや、自分のために生き続けることが、子どものためになっているのだろうと思います。



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