合わない人がいたときは。
先生たちとも理解し合っていくために
こんにちは
sora no niwa です。
先日、個人懇談がありました。
ときどきお休みする息子さんたち
メインの話題は、やっぱりそこですね。
実はちょっとドキドキしていました。
というのも、
子どもたちを観察していたら
休むときというのも
子どもたちの感覚を信じて大丈夫そう。
新月満月の前後だったり
土用期間だったり
なんでかわからなかったけれど、あとあと調べると、変化の時期だったみたいなことが多く。
それに加えて、やることが多かったり、自由に動けない時間が多いのも、苦手のようで。
(私も同じなのでよくわかる。いや、私を映し出しているのだろうか。笑
わからないけれど)
友だちも好き、先生も好きなんだけど
この「なんとなく休みたい」を
わかってもらえるのだろうか…というところでした。
元々、息子たちが通っている学校の先生たちは、校長先生をはじめ、子どもたちのために、とても考えてくださるのですが
最近、理由をすごく聞かれたり、心配されたり、途中からでも来られるように提案されている気がしていて。
やっぱり感覚的なことを理解されるのは、むずかしいのかなと思っていたんですね。
ただ、実はその、理解されるのがむずかしいかもと思っていたとき
「何か理由を言わないといけないかな」
「休みがちになるとあんまり。。という目で見られるのかな」
「前は途中からでも行けたのにな」と
私が思っていて。
自分がそう思っていたことを認めていっての懇談では、先生たちの反応が違ったんです。
とても理解してくれていて
子どもたちは切り替わるようだし、深い理由がなさそうであれば、なんか休みたいみたい。で、大丈夫ですよ。と
全然受け入れてくれていました。
公立の学校だと
わかってもらえないかもしれない。。
という思い込みが
目の前に出てきていたんだなと。
自分がクリアしている内容だと、ちがう価値観のお話になっても、普通に聞けたり、気にならなくて。
目の前の人は、自分の鏡ですね。
自分の内面が作っていることを認めると、現実が変わっていきます。
自分が作り出していることを、忘れておりました。笑
密かな夢だった
自由に登校できて
自分でやりたいことを決められる
そんな学校があったらいいな。って思っていたけれど
実はすでに、ちょっと達成されていました。
まわりの目より
自分の意思
こうでなければいけないより
こうしたい
理由より
感覚
自分の気持ちを、正直に確認する
ここを貫けば貫くほど
相手にわかってもらおうとしなくても
理解し合えるようになっていく
そんなふうに思うんです。
個別の相談
託児と学童
しています。