合わない人がいたときは。
マイペースを受け入れるために
こんにちは
sora no niwa です

朝、余裕を持っているはずなのに、ギリギリの時間
なんなら、遅れる
行くと言っていたはずなのに、予定が変わる
子どもと一緒にいれば、思うようにいかないことがたくさんあるかと思います。
子どもは「時間の概念がない」というけれど
(いや、実は〝時間は存在しない〟という、わかったような、全然わからないような、理系のお話があるのですが、私は説明できず(笑)
ただ、子どもたちのほうが確信をついている気がしていて、、)
どうしたら、そのマイペースさが気にならなくなっていくのか。
このことは、ずっと片隅にありました。
気になるときは
「遅れてはいけない」
「ちゃんとしなくてはいけない」
「迷惑をかけてはいけない」
「その理由だといけない」
「一度決めたことは、やらないと」
というのがあったんですね。
これって、今まですごく言われてきた、そう思われていた言葉じゃないかと思います。
私も、子どもたちと同じように
好きなことをやりすぎちゃう
余裕を持っているはずなのに、ギリギリになことも、遅れることもあるし
予定が変わることもある
決めたのに、できないこともあるのに
それだといけない、ダメだと思っていました。
「〇〇しなくちゃ」「〇〇しないといけない」は、誰かの言葉
「〇〇したい」(「〇〇しようかな」)が、自分の言葉
みんなに合わせて、常識にしたがって、自分に厳しく、効率的に、計画どおりに、自分で乗り越えて。というのが、前の時代だったけれど
自分の思ったとおりで、それぞれ答えがちがうし、楽しくコツコツ、感覚で、みんなで解決していくでいいんですね。
「〇〇したい」「〇〇しようかな」というときに動くと
洗濯物を朝干そうと思っていたけれど、午後になるとか
たたむのなんて、週1、2できればいいくらい
台所がぐっちゃぐちゃのまま
おもちゃ出しっぱなし
片付けしようと思ったら、ちがうことに目がいって忘れる
こんな状態なのに、マンガを読みたくなって
「あー、家事やらなきゃだよな、でもやりたくないんだよな。」と思いながら、マンガを読んでそのまま就寝。という日が、私はあります。(ついこの前も)
やっと「やろうかな」になったと思ったら、今度は娘が同じことをしたいとなり、また進まず、、、みたいなのもよく。笑
それでも、自分の言葉を聞いていると、その分は子どもの声が聞けて
聞けなかったら、まだ自分の声を聞けていないことがあるのかも。1人でやろうとし過ぎているのかも。と、戻ればいいのですが
自分の声を聞いたり、手伝ってもらうと、私は「何もしない」が増えすぎて、昔はものすごく抵抗がありました。
何かしていないと、自分の存在がなくなるような気がしていて。
ムダな時間がもったいない。効率的に物事を進めないと。と思っていたのもあります。
本当は、何もしなくても価値があるんですよね。
ムダな時間、ムダな事も豊かな状況へ連れて行ってくれて。
何かしたら認められるのではなくて、何もしていなくても認められる。
できなくてもいい、ダメでもいい、ムダでもいい。
そこにOKを出せば出すほど、本心で動けるのかもしれません。
そう思うための1つ「自己受容」については、また書こうかなと思います。
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