聖なるあきらめ、そして犬になる

納得していないことがあって

その場を動かないとき
口を閉じたままのとき
スッキリしていなさそうなとき

どうやって関わったらいいか、迷うことがあるかもしれません。


話を聴こうとしても
何か提案しても
それじゃない。

「じゃあどうしたらいいの?」って聞いても、応えるのがむずかしそう。

こっちの想いを伝えてみても
変わらない。

かといって、

放っておいてほしいとも
違いそう。


待てばいいのか。

やっぱり離れたほうがいいのか。

別の話題にしたほうがいいのか。


私も迷うことがあります。



そんなときに
パーンと〝力〟を入れていないのに、子どもの姿が一瞬にして変わることがあって。


それが
「育てよう」「教えよう」「味方でいよう」
そんな責任を、すべて一度手放したとき


もういっか。
まかせようって。


大切な人だからこそ

できるかぎりのことをしたい。

これだけはできるようにって、期待しちゃうこともある。

自分が助けないと、相手がダメになってしまうのではないか。立ち上がれなくなるのではないか。

そう思ってしまうのだけれど、


そんな責任を、自分が背負わなくても

「この子は大丈夫」

まかせられたときに、予想外のこと、サポートが起こってくるかもしれません。



まぁ何かしなくて、本当にいいのかなって思っちゃうんですよね。

みんなは教えたり関わっているのに、自分は側にいるだけでいいなんて。


そういえば、「犬のようにふるまう」と言われたことがあったなと思い出し、犬の写真を検索。


犬が忠実に人に従う1つに

「そうすると、良いことが起きると理解しているから」というのがあります。


がんばってうまくいったのも、苦労を乗り越えた先に、幸せが待っていたのも、前の時代の生き方。

今は、力を入れなくても進むこと、やりたいことをすればよくて

大変を選んでもいいけれど、ラクに解決していくことを選ぶこともできます。


自分のために生きることが、むしろ子どものためにできる役目。


めざそう、犬。笑



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sora no niwa  まゆ